「忘れてもらえないの歌」@赤坂ACTシアター20191023

「忘れてもらえないの歌」なんだか語呂が悪いタイトルだなーとか思っていた。戦争や大切な場所や大切な仲間や大好きな音楽。良いことばかりじゃなかったけど忘れられないことばかり。主人公の滝野はそのひとつひとつを忘れたくなくて繋ぎ止める役。実際にいたら損な役回りと言われてしまうかもしれない彼はとにかく周りに気をつかう。励ます。大切な場所カフェ・ガルボを守る。戦争で山ほど失ったからもう失いたくないんだろう。でも戦後周りの仲間たちは音楽ではない道に進み始める。生活していかなくてはならないから。売春婦からジャズバンド歌手に抜擢された麻子は音楽の道で生きていこうともがくも当時の売春婦仲間が結婚して平凡な生活を手に入れていたり、昔自分を買った男に偶然出会ってしまい音楽の仕事を失ったり。買った男は別に何も失うことなく会社のいいポジションにいたりする。女性たちのシークエンスを見ながら心がざわついた。

音楽を扱うシーンがとても豊かなものから少しずつ千切れていき響かせたい音楽とは違う方向へ行き、体裁を辛うじて保っているくらいになる。滝野がしがみついてでも手放したくない理由が分からないほどに。そしてばらばらになる仲間。滝野は何を守ろうとしていたのか。音楽か仲間か両方大好きな自分自身か。

忘れてもらえるということは一度憶えてもらったことがあるということにラスト気付かされる。誰にも知られることのない歌「夜は墨染め」を滝野は歌い上げる。解体されるカフェ・ガルボの中心で。彼はその後の人生どうしていくのか不安になりながらこの歌を自分は聴いた。器用そうで不器用。うつむいて歩いた先にどうか光がありますように。

 

安田章大主演舞台は2度目。「マニアック」がどうも苦手で今回こそは...と思って観劇したら素晴らしかった。楽しそうにギターを弾いて歌う姿を見て、滝野の人生を背負って舞台に立つ安田さんに会えて本当に良かった。そして銀粉蝶さんの歌声に震えた。言葉通り本当に震えた。安田さんの伸びやかな歌声も素敵だったけど、銀粉蝶さんに関しては別次元。舞台で出会えて本当に良かったです。

あとやっぱりカーテンコール3回目のスタオベルール苦手です。

十五祭@東京ドーム20190903

2019年9月3日私は東京ドームにいた。2日後に発表される何かをまだ知らない私は高揚感と期待感とどうやっても拭い切れない一抹の不安を抱えて東京ドームにいた。

関ジャニ∞15周年コンサート『十五祭』最終日のチケットを知り合って10年にもなる飲み友達から譲ってもらえることになり、その日の飲み会帰りに発信した酔いどれツイートはかなり荒ぶっていた。渋谷すばる脱退新規である私は関ジャニ∞を追いかけ始めた時には既に6人組。7人ましてや8人組だった関ジャニ∞は過去映像で知るだけ。懐かしさも何もない。6人の関ジャニ∞と共にこの一年を生きてきた。彼らは大袈裟でも何でもなく自分にとってただの生きる希望。

ほぼネタバレ回避して挑んだ十五祭。開演15分前スクリーンに映し出される「15」からのカウントダウン。8分台のみ8色のカラーリングでカウントダウン。ワクワクが止まらない。始まる前からこの調子じゃ関ジャニ∞が出てきたらどうにかなってしまうんじゃないかと思ったほど。いや、きっとどうにかなってしまっていたと思う。

定刻通りではじまった十五祭。開幕と共に流された戦国絵巻風の関ジャニ∞歴史VTRで最初から涙腺崩壊。そして本人登場してまた涙。大倉くんがeighterの為に考えてくれた演出・セトリは本当に素晴らしく溜め息が出るほどドキドキキラキラしっぱなし。ここ数年バンドに重きを置いていたステージも今回は踊る踊る、また踊る。しかもノンストップ。こちらはキャーキャー言いっぱなし。このコンサートで一曲だけ感想を書くとしたら「勝手に仕上がれ」しかない。さっきまで歌い踊っていたとは思えない格好良さ。バンド演奏で盛り上がる鉄板曲。東京ドームは一気にロックバンドライブ会場と化していた。コールアンドレスポンス的なやつをするんだけど会場のとてつもない一体感。あの一体感は今思い出しても胸にくる。自分の見ている光景がとても愛おしくて美しい空間だった。関ジャニ∞とeighterが作り上げた空間が本当に美しくて楽しくて少し泣いてしまった。全体を通してもひとつずつが「美しい」ライブだったように思う。

ダブルアンコール後にスクリーンに映し出された「15→16 to be continued……」にものすごい歓声が上がりみんなが少しずつ持っていた不安が安堵へと解けていくようだった。終演後、一緒に行った友人と「超楽しかったね!早くDVD見たいね!」「年末は難しいだろうから年始くらいかな?鑑賞会やりましょうね!」と言いながら出てくるとネット上で早くも十五祭DVD10月末発売の文字。「いくら早く見たいと言ったけど早すぎじゃん!」と笑いあっていた2019年9月3日。収録公演がこの最終公演ではなく京セラドーム公演であることに気づいたのは9月5日の午前中。そして9月5日15時に届いた【関ジャニ∞よりファンの皆さまへの大切なお知らせ】メール。

自分が感じていた美しさの核はこれだったのか。大倉くんがひとつも嘘はつかずに大切に大切に演出してきたこのライブ。eighterに思いっきり楽しんでもらう為に新たな別れを隠して駆け抜けた6人。何も言葉にならない。どんな気持ちで十五祭DVDを見ればいいのかまだわからない。その不安な気持ちすらも楽しめるようにビールをいっぱい用意して見るつもり。47都道府県ツアー発表で彼らはもう止まれないということを理解したから、自分も関ジャニ∞についていくしか道はないと覚悟を決めている。何事にもいつか終わりが来る。それがいつかはわからないけど、その時まで一緒に歩んでいきましょう。その時が少しでも先の未来であればいいな。

怪我と後悔

実家に帰ると坂の上にあるスーパーに歩いて行く。父と子と私。父は自転車の荷台に子を乗せて押して歩く。何度目かのとき慣れたからと父がゆっくり漕ぐことを条件に荷台に子。そして、というかやっぱりというか2回目で恐れていたことが起きた。子の右足が後輪に巻き込まれた。少し後ろを歩いていた自分は巻き込まれていく足を見た。普段なら曲がらない方向に向いた足。急いで駆けつけ車輪から足を引っ張り出し大泣きする子を抱っこして走って家に帰った。確実に防げた怪我。子に対して申し訳なくて、危険な目にあわせてしまった後悔が瞬時にどっと押し寄せる。土曜の夕方で診てくれる病院を探すため一番近い総合病院に電話。そこから消防に電話して今の時間に救急診療をしてくれる一番近い病院を聞く。今すぐ診てもらわなければ、という一心で足の皮膚が抉られてしまって泣き止まない子は父に任せ、といっても父もどうしていいか分からず涙と鼻水を拭くのみ。2つ隣町の病院まで行きレントゲンをとってもらい骨折はしていないと分かり一安心。傷の処置のみで済んだ。折れてないとはいえ痛いはずで、5日くらい歩かなかった。が、幼稚園に通い始めたら少しずつ歩いてくれるようになり幼稚園の環境に感謝。

 

昨日3歳の子がマンション9階から転落死というニュースがやっていた。熱で幼稚園を休んでいて寝ている隙に母親が買い物に出掛けた間に起こった悲しいニュース。寝たばかりだから急いで行ってくれば大丈夫と思ったんだろう。子が1人で寝ている隙にダッシュで買い物したこと自分もある。病気の子を連れて買い物にはいけないから、できればしたくないけど今のうちにってすごく分かる。我が子と同じ3歳だからどの程度出来たり動けるのかも分かる。窓の鍵はもう1人で開けれる、のに我が家にはチャイルドロックなど付けていない。ベランダに台になるようなものがあってそれに上って転落した、我が家にはベランダに台になるようなものはないけど椅子を運んでくることは出来る。 きっとこの子は起きたらいるはずのママがいなくて、部屋中をくまなく探してもどこにも居ないからベランダに出て外を見ようとしたんだろうな。ひとつひとつが悲しいほどに鍵穴にカチッとはまってしまった。起きてしまったことはもう戻らない。この子のママの後悔がどうかどうか………このあとの言葉が全く思い浮かばない。この後悔が消えることはないし月日を重ねるごとに膨らんでいく。もし生きていれば七五三、入学式、卒業式、成人式……想像しただけで苦しい。このママにずっとそっと寄り添ってくれる存在が絶えませんように。

マニアック@新国立劇場 中劇場20190220

安田章大古田新太と同じ舞台に立つ音楽劇。期待値ストップ高。チケットはエレキイベントで知り合った人がたまたまeighterでその方と仲良くなり取ってもらって一緒に観劇してきました。

安田くんが歌って踊ってギター弾いて演じてるだけでもう胸いっぱい。2018年コンサートツアーで激しい動きを自重していたあの安田くんがステップ踏むのを見れただけでチケット代12,000円の元が取れたといっても大袈裟じゃない。きっと裏では他の人以上に体のケアをしていただろうし、求められる以上のことをしようと苦しんだとも思うけど、楽しそうにのびのびと舞台上にいる姿を見て「生きているだけでファンサ」これに尽きる!

 

舞台としては実力のある俳優陣がどうしようもない設定のなかで真剣に遊ぶ、という印象。町の精神病院で院長(古田新太)が身寄りのない患者にロボトミー手術をして意のままに動かそうとしている。その院長の娘が血を見るとペニスを吸いたくなる医者の卵・メイ(成海璃子)。病院の植木剪定を頼まれメイに一目ぼれしてしまったアキラ(安田章大)。アキラはバツイチで元嫁がケータイ依存症で精神病んで医者に薬漬けにされてしまい医者に良い印象を抱いていないという設定もあり。これだけ読むと小劇場で行われてそうな地獄の戯曲。いやそれは確実に行われていた。やたらと登場人物多くて上演時間もやたら長くカーテンコールも舞台上ぎゅうぎゅうで客席ほぼ身内……みたいな地獄に昔居合わせたことあるなーと遠い目。その地獄がフラッシュバックしながら観劇。で、ラストは成海さんがかなまら祭りよろしくな御神体に跨りわっしょい!!!わーーー何これ!?ナンセンスギャグかしら!?こんなのは舞台でしか出来ないよね!きゃっきゃっ!ということで宜しいでしょうか?

あと音響設定がイマイチで男性陣が歌うと何言ってるか分からないことが多々あり。女性陣はそんなことなかったから発声の仕方の問題?どういう問題?

あとあとJ舞台のスタオベ問題。今まで2度ほどジャニーズの人が出演している舞台を観劇したけどもれなくスタオベ。しかもカーテンコール3回目で立つ、というのはJ一般常識ですか?舞台の終わりを目の当たりにして、感情が昂って始めた拍手が止められないほどの時にどうしようもなくて立ち上がってしまうのがスタオベだと思ってる。ので周りは全員立ち上がってるけど最後まで座ってました。空気読めなさすぎですね。すみません。

 

南海キャンディーズしずちゃんも出演してたんだけど、とてもいい感じだったのは収穫。いなくてもいい役な気はしたんだけど(病院一帯を買い占めてホテルを建てようとしている女社長役)この舞台では常識人側の役で、いつものしずちゃんの少し篭った喋り方ではなくて外側にしっかり届く声と演技だった。こういうのも出来たら演技の仕事幅が増えるだろうなー。

 

音楽劇はこういうものなのだろうか?という感情をこの一ヵ月後に観劇する「世界は一人」がひとつの答えをくれた。この感想はまた今度。