今更思う将来のこと。

「理想の教科書とは?」と理想の国語教科書について採り上げている今回のユリイカ
端折りながら読んでいて先日爆笑問題太田が総理を務める番組で
「メールを完全廃止します」という議題が挙がっていたのを思い出した。
メールによって人の気持ちが見えなくなってきたとか日本語が乱れている原因だとか言っていたが
自分の思いを表現する機会が増えたという点ではとてもいいことではないのだろうか。
お手軽に自分の気持ちを相手に伝えることが出来るのは電話が苦手な私にとってもメールは非常にありがたい。
小学生もブログなどをやっていたりしているので言葉を表現する力はあるんだと思う。
ただ言葉先行というのが問題なのではないかと。
いま浮かんだ自分の「言葉」を外に出す事によって、どういう風に世界が動くのかを考える想像力がない。そこが問題なのだと思う。


今日小学6年の児童がたまたま持ってきていた折りたたみナイフで
2学期の係り決め最中にいざこざが発生し、
クラスメイトをたまたま刺してしまったという事件が報道されていた。
ここらへんの理由を聞くと係り決め如きで…と思うが小学生にしてみれば大問題のはずだ。
刺した児童は全て自分の思い通りになる世界で生活してきた児童なのだろう。
パッと浮かんだ言葉は表現できても心の奥で発生した気持ちを相手に伝える手段を知らないのか
どうしていいか分からずナイフで刺した…しかも左胸を狙った。
「どうしていいか分からずにナイフで刺す」ような言葉を小学生に教えても意味がない。
……本当に意味がないのか?
どういう教科書がいいのか、よりこの事件のほうが大事な問題のような気がする。