楽しくできないもんかね。

昨日、日テレの深夜に放送していたNNNドキュメント'06を見ていた。
途中から見たのだがある小学校のクラス集合写真がテレビに映し出されていて、
校庭で撮られたその集合写真の背景に見覚えがあった。…やっぱりそうだ。
私が11年前に卒業した小学校を舞台としたドキュメンタリーは
『子供たちの心が見えない…教師、17年目の苦労』というタイトルで放送を始めていた。
6年6組の様子を追っているのだが、6年生の教室の雰囲気とはとても思えなかった。
あ〜これが噂の学級崩壊なのか……。
担任の言う事を聞かない上、反発。担任に対して間違っている敬語ですら使わない。
そういうところを編集して繋げたんだろうけど、それにしても酷い。
思い出の校舎内は今こんなことになっているのかと思ったら正直哀しくて泣けてきた。
卒業式間近のある日、担任は子供たちに真剣な話をしたかったのだろう。
「聞いてほしい話がある」といつもとは違うトーンで言ったはずだ。
それなのに話を遮るように質問する生徒、近くの友達と話をやめない生徒
雑誌を見ている生徒、流れるようには進まない担任の話。
教師というより大人の言葉に重みがなくなってきている。
子供たちの言葉と心のバランスが崩壊してきている。
これが問題と言える問題ではもうなくなってきているのだろう。
この番組を見て教師が真正面から向かっている姿勢は伝わった。
しかし今の子供たちは情報が氾濫している時代で育ったから言葉をよく知っている。
よく知っているくせに心がそれについていっていない。
それは子供たちの親にも言えること。
真正面から受け止めるだけじゃ教師のほうが先に参ってしまう。
あと教師は優しくなりすぎたと思う。
こうなってくると体罰議論になってきてしまうのだが、なぜ罰を与えるのがいけないことなのか。
私もあまり体罰という響きは好きではない。
でも、必要な時にしないと子供たちの中で勝手にボーダーラインを引く。
親がそのラインを引いてあげていないといけないんだと思うが教師も同じように引く必要がある。
褒め方と叱り方はどこで学べば良いのか?


しかし公立の小学校でよくこの取材を受けたなと思う。
良いことを採り上げるなら協力的にもなるんだろうけど、
悪循環だらけの教育現場をさらし出すというのは保守的になっている学校にとってどういう思いだったのか。


テレビの中の6組と私が過ごした11年前の6年4組とどうしても比べてしまっていた。
私は担任にビンタされたことがある。
もちろん悪い事をしたからだ。
正座させられるなんて日常茶飯事だった。
忘れ物したりちょっと悪い事をしたら、すぐ正座をさせられていた。
それが当たり前だった。
だけど担任の先生は好きだった。
クラスの仲間に嫌いな人なんて1人もいなかった。
担任の提案で昼休みに教室で遊んでいる人とグルになって、教室にいる人はみんな正座して
外から帰ってくる人たちが教室にどんな反応で入ってくるのか見てやろうなんてくだらない事とかしていた。
そんな些細なことも良い思い出にしていたりする。
今の子供たちはどんな思い出になるだろう今を学校で過ごしているのか。