繋がっていたいんだ、ほんとうはでも

TSUTAYAでレンタルして「ポツネン」「maru」両方見たが見終わったあと何だか哀しい気持ちになった。なぜか自分が高校入学してからの数ヶ月を思い出す。周りの人たちはいつの間にか仲良くなり始めていた。誰かと喋りたくなかったわけではない。ただ何を喋っていいのか分からなかったし、何かを喋るタイミングも分からなかった。喋りかけられても「そうだね」ぐらいの相槌しか返せなかった。休み時間は本を読んだり真っ白なノートの上に空想を展開していたりした。ノートの上では誰かと繋がっていたいと願っていたような気がする。だけどその倍の思いで繋がるのを拒むんだ。恐いんだ。そんなことを思っていた。
【ポツネン】
小林賢太郎は今の自分と対峙して自分が何者なのかを舞台の上で知りたかったのだろう。で、何周もして結局同じ場所に戻ってきた。それが良いことなのか悪いことなのかは分からない。「悪魔のキャベツら」に出てきた食材で悪魔は世界で一番哀しいお好み焼きをつくりきっとひとりぼっちで食べたんだ。1年間人間になって別れを経験した食材たちはたった1年限定でも色々な出逢いを経験して幸せだったと思う。とてもしょっぱくなってしまったのは、きっと悪魔の涙のせいだ。だからパスタには塩を入れないくらいがちょうどいい。悪魔は望みを叶えてくれるという。悪魔にとってその切り口だけが何かと繋がれる手段なんだ。お笑い。コント。舞台。お客さん。ラーメンズ。俺。自分を悪魔と思い込むことで変な安心感があるんじゃないんですか。もしかしたら1番人間になりたいと願っているのはあなたじゃないんですか。誰かの望みを聞く前に何かあなたの願いごとはありますか。
【maru】
自問自答のソロ公演。見終わったあと、もう小林賢太郎だけで舞台はやらないだろうと思った。ラストの雪はきっと悪魔が望んだことなんだろうな。