「室内の人々」の追記というより彼らに対する意地でしかない何か。

先日のザ・プラン9春公演「室内の人々」がDVDになったとしても買いません。
私がプラン9に求めていることなんて実はない。極論を言ってしまえば、姿を見るだけで嬉しくなるから。でもそこはやっぱり面白いものを見たくて劇場に足を運ぶんですよ。今回の春公演が面白かったか?と聞かれれば、面白くなかったとはっきり言います。プラン9だからどうとか・・・という問題より、公演そのものが面白くなかった。もしこの内容をラーメンズバナナマンの公演でやられたら相当ガッカリして帰ると思う。この2組を出したのは私がライブで見たことがあるからなんだけど、忙しい中でコントを創り上げ、お客さんに観てもらうまでのレベルに上げてきてると思うんです。だから満足するし、狙ったところで笑いが起きるし、感動すら覚えることもある。今のプラン9にはそれがない。小手先に頼って・・・というと違うかもしれないけど、小手先頼み。
今回2部構成で「春公演」と銘打ってたけど30分ハーフの2部構成にして、あと1時間はトークして終わればまだ印象が良かったかな。もっと見せる努力をしてほしい。慣れ合いを見たい訳じゃないし。
「お誕生日壊」演出でもう少しくらいはどうにかなったはず。想像を膨らませるのも演出だけど抑えるのも演出だと思う。なだぎさんの宝くじ売り場までの説明が当日アドリブで増えたなら仕方ないとしか言いようがないけど、さすがにあれは見てる人のことを一切考えてないと思う。面白くなればいいんだよ全て。面白いところを笑えなくさせてるのも演出だと思う。ギブさんが書いてきた本をそのままやったのだろうか?添削しなかったのだろうか?「仇男」でも思ったんだけど(あれは久さんの演出なんだけどね)あまり展開しない場面こそ演出が必要になってくる。それがないのが見てて辛い。時間を短くするか、ないならないでいい。ただ「何もしない」という演出を見せてほしい。面白かったところは謎の動物ジャンケンの久さんアドリブ「ライオンの眼が退化する」からの「丸い肉の塊になる」からのなだぎさんの「ぷよぷよ」見てない人はさっぱり解りませんね。まぁ見てても解らないかも。
「a room」久さんがギブさんの本を読んで、1部の「お誕生日壊」の隣室で起こっていることを書いた話。どう考えても無理がある。よく脚本の指導で私が言われまくった「ご都合主義」全開。いや今までの本公演やコントstyleだって無理は散々あったよ。だけどそれとは意味が違う。話じゃなくて本に無理がある。無理というより無理矢理か。救いがあるとすれば久さんの演出が上手くなったような気がした。ラストの雷なってからの音楽とかはさすがに辛いですが(狂気のシーンにあんな重い音楽はどうも・・・)それまでは良かったと思うんです。まぁ1部からの繋がりもあったから見れたのかもしれないけど。でもギブさんが演じる画家が捕まるキッカケのフィルムカメラが1部でも出てきてるんだけど久さんカメラの蓋を開けてたぞ。即感光。勝手に伏線張っておいてそりゃないよ。うわっ、ここまで浩志についての記述ゼロ。画家のモデルになるために何故か女体のタイツを着させられていて見てて恥ずかしかった。最後はカツラとって、あのタイツも脱ぐべきじゃない?だって男性役なんでしょ?そこは別にいいか。
プラン9に求めることなんてない、と冒頭に書いておきながらいっぱい書いてしまったね。彼らの昔の公演をDVDで見て「あーこういうやり方もあるのか」って感動したから好きになったんだよ。本公演じゃなくても今DVDで出てるコントstyle2本は好き。あれから何が変わったのだろうか?そりゃあ、鈴木つかさ脱退は大きいけどその前から何かがずれてきていた気がする。なんか探せば探すほど、好きすぎて目を瞑りたくなる。
春公演帰りの電車内でノートにその日のことをメモしていたんだけど、見返したら水色のペンで「やればいいってもんじゃないよ」と書いていた。