死刑を考える

死刑 人は人を殺せる。でも人は、人を救いたいとも思う

死刑 人は人を殺せる。でも人は、人を救いたいとも思う

出来ることなら私と出会ったことある人たちは全員幸せでいてほしい。死刑制度存置か廃止支持か決める前にそう思った。今まで死刑に深く触れたエントリーは少ないけど裁判やドキュメンタリー関連のものを読み返すとどっちつかずの感想しか書いてない。でも本を読み終えて廃止支持をしたいと思った。森さんの着地点が死刑のシステムではなく情緒に比重をおいてることも大きい。1つの視点に囚われず色々な取材対象者から得られた言葉、思いを受け取った上で廃止支持をする。したい。犯罪者でも生きていてほしい、というより誰かが誰かに殺されるのが嫌だ。最初に「出会ったことのある人は幸せになってほしい」と書いたけど、それは自分が想像しやすいから。博愛的な意見になってしまうけど本当はみんなに幸せになってほしい。誰かが騙されたり、騙したり、殺されたり、殺したりしてほしくはない。
昨日起きた秋葉原の通り魔事件は今の法律では死刑判決が下される可能性が高い。7人の命を奪ってしまい重軽傷者も何人かいる。被害者家族も多くいる。この状況でもあの犯人に死刑判決を下さなくていいのか?の問いには即答できない気がする。・・・矛盾。いや下さなくてもいい。理屈じゃない。いや、これは理屈か。誰かが誰かを殺そうと思う。死刑制度を支持している人は、人が人を殺すのを良しとしているということ。殺人者だから良しとする。どうしても、その考え方が出来ない。怖い。弱虫なだけかもしれない。大切な人が被害者になったことがないからかもしれない。だけど現時点ではどうしてもその考え方が出来ない。「でも人は、人を救いたいとも思う」という。それは祈りに似た何かかもしれない。