40週3日目に出産

2016年2月27日17時31分。吸引分娩にて2,685gの男の子を出産しました!!!出産から約1ヶ月経てようやくはてな更新。現在慣れない育児に奮闘中です。これはまた別の話なので今回は出産時の話を記録しておきます。
当日起床時から少しお腹が痛いなーとは思っていて、でも我慢できる程度の不規則な痛さだったから「これが前駆陣痛か?」と思いながら家事などをこなしてました。15時頃まだ我慢できる腹痛とともに腰も痛くなってきて、微量のおしるしも確認できた。何となく10分間隔になってきたから念のためクリニックに電話。助産師さんから「何とも言えないけど予定日過ぎてるし、一応入院グッズを持って来院してください」と言われ、登録しておいた陣痛タクシーを呼ぶ。日本交通の陣痛タクシーを使ったんだけど、このとき来てくれた運転手さんが素晴らしかった!すでに通院でクリニックまで何度かタクシーを使用しているんだけど、そのタクシーたちは5分以内に着く場所なのに混雑してる大通りや一通などが多い場所なのでナビ通りに走るとかなり時間がかかる。だけど陣痛のときの運転手さんは今まで見たことないルートでスムーズにクリニックに辿り着いてくれたのだ。この人こそプロの運転手だと思ったよ。伝えれる余裕はなかったけど。本当にありがとうございました。
クリニックに着いて先生の内診「子宮口が7cm開いてるね。よし産もう!」と言われてマジか!と思わずにはいられなかったよ。だって10cmで全開と言われてるところの7cmだから。陣痛ってこんなもんなの?陣痛に対しての恐怖心が盛り上がりすぎたのか、もっと激痛だと思っていたよ。
病室に荷物をおいて夫に「これから入院します」と16:12にメール。それから陣痛を促すためにクリニックで推奨しているよもぎ蒸しの準備。裸になり首から下がすっぽり入るケープをかぶり穴が開いた椅子に座らされる。そのときに赤ちゃんの心音を確認するモニターを付けてもらう。すると助産師さんが何度もモニターを付け直しにきて、別の助産師さんも登場。「心音が聞こえないから四つん這いになって」と指示通り裸&ケープのまま四つん這いに。心音確認が安定したのかまた座ってよもぎ蒸しの続きするため椅子に座る。そしたらまた心音が確認できないと再び四つん這いに。そのあたりから陣痛が強くなってきて周りがバタバタし始める。「赤ちゃんの心拍が低下してきてるので、これからすぐ分娩台に行きましょう!」と助産師さんに言われケープを脱ぎパジャマの上だけ着直し、下半身はバスタオルで隠されながら移動。分娩台に上がりそこからは先生や助産師さんからいろんな指示が私に飛ぶ。「腰を上げるな、足を広げて、声を出すと力が逃げるよ、足のほうをしっかり見て」言っていることはちゃんと理解できているんだけど、必死にその通り動こうとするけど動けない難しさよ。「必死」って今までの人生で何度も使ってきた言葉だけどこの時に比べたら今までの必死さなんて嘘っぱちだ。そのくらい必死。
人工破水して会陰切開してからの吸引分娩。出産直前には陣痛が痛いのか、お股が痛いのか、この状況下で恐怖心が痛さを増幅させているのかよく分からず。すぐそばに居てくれた助産師さんの手を思いっきり握り締めながら4度目くらいのいきみでジュルンと出産。泣き声が聞こえ、我が子が私の胸にのせられ呼吸をしているのを感じた。ただただ「良かった」と繰り返し思うばかり。しばらくしたら仕事を終えた夫がやってきた。会陰縫合や子宮伸縮経過をみる後処理中に登場。私には出産時よりこの後処理のほうが地獄だった。たまごクラブの類に掲載されているのは出産までの話。出産直後の話はふわっとしか知識がなく、出産の安堵感から気が抜けている状態での会陰縫合の痛さ。そしてお腹をギュウギュウ押され胎盤出し切ったり悪露出したり子宮伸縮促したり。この時も出産時同様、夫の手を力いっぱい握っていました。そこから2時間は母体の様子をみるため分娩台の上のまま。しばらく夫と赤子と3人の時間。この非日常がいつしか日常へと変わっていくんだろうな。
入院グッズを病室に置いてから約80分で出産。時間だけみたら超安産というんだろう。だけど心拍低下していたし自然に産んだというより急いで産まなければいけない状況で、後から聞くと緊急帝王切開の可能性もあったらしい。これを安産と呼べるのか。無事に産まれてくれれば何でもいいとずっと思っていたから、とにかく生きて産まれてくれて本当に良かった。
母子同室だった入院生活のことも記録しておきたいけれど、それはまた別の機会に。